店の屋根雪
2011年4月30日 |
高圧洗浄機でデッキの床板等に付いた汚れを取るのですが、床だけでも7〜8時間もかかります。
しかも、高圧洗浄機のホースは圧力によって細かく振動しているために終わったら腕が筋肉痛でピリピリです。
清掃が終わり、テーブルと椅子をセットして一服していると、小鳥たちの鳴き声が聞こえました。
いつも聞こえているのにテーブルを出して雰囲気が変わると小鳥の声も違って聞こえました。
何種類の鳥がいるのかさえ分からないのですが、『いい所だ』と思ってしまうのです。
デッキでのくつろぎは屋内では味わえない質のものですよね。
話は変わりますが、3年前にこのデッキの床を貼り替えようと材料を仕入れたのですが、いまだにしていません。
16年も前に造ったので所々に腐りがあるのですが・・・・・。
仕入れた床材は他に使いどんどん少なくなってしまい、今ではとてもこのデッキを貼り替える量はありません。
桜の花びらは半分以上散ってしまいました。
これからが一年で一番好きな新緑の季節となります。
デッキにテーブルを出しました。
この用意をするのは簡単ではありません。
倉庫からテーブルと椅子を持ってくる前に、デッキを清掃しなければならないからです。
ハリー・エドワード・ニルソン(Harry Edward Nilsson III、1941年6月15日 - 1994年1月15日)は、アメリカ合衆国のソングライターでした。
1960年代後半から1970年代にかけて、「ニルソン」名義で数多くのヒット曲を残しました。
代表曲に「ウィズアウト・ユー」(1972年全米No.1)、「うわさの男」、「ワン」、「ミスター・ボージャングル」、「孤独のニューヨーク」などがあります。
ところでこの曲、ぼくは長いことニルソンの作だとばっかり思っていましたが、違ってました。
「ビートルズの弟分バンド」と言われたバッドフィンガーのピート・ハムとトム・エヴァンスの共作だったんですね。
でも逆に言えば、それだけニルソンの歌ったもののインパクトが強烈だった、ということでしょう。
この曲は、マライア・キャリーやホール&オーツを始め、たくさんのミュージシャンにカヴァーされていますが、往々にしてニルソン版を踏襲しているようです。
この曲のカバーを決心した時彼は泥酔状態でこれをジョン・レノン作品と勘違いし、翌朝聴き直そうとしたところ彼のアルバムの何処にも見当たらずに大変慌てたというエピソードが残されています。
ニルソンがシンガー・ソング・ライターだっただけに、よけいにこの曲はニルソン作だと言う先入観を抱いてしまっていました。
この曲は、ニルソンの、シンガーとしての実力をも強力にアピールする1曲ですよね。
あのヒゲ面からは想像もできない、とても美しい声も魅力です。
70年代に、いや、ポップス史に残る名バラードですよね。
ハリー・ニルソンは、1960年代の初頭から銀行員をしながら作曲家として活動していました。
勤務の合い間にスタジオに入ったり、曲を売り込んだりしていたそうですが、このあたり日本で言うと小椋佳氏を思わせる境遇ですね。
ニルソンの作品は、やがてプロデューサーとして名高いフィル・スペクターの目に留まります。
そしてモンキーズやヤードバーズに曲を提供した後、1967年にシンガー・ソング・ライターとしてデビューしました。
翌68年には銀行を辞め、本格的な音楽活動へ足を踏み入れることになります。
ニルソンの甘くてカラフルなポップ・センスは絶賛され、そのどこかで耳にしたような人懐っこさと優しさに満ちた作風は、ソング・ライターとして高い評価を受けます。
当時ビートルズのアップル・レコードのスタッフが、ニルソンのデビュー・アルバムをビートルズの面々に聴かせたところ、とくにジョン・レノンがこれを大いに気に入り、ニルソンに国際電話をかけて「君のアルバムは素晴らしい。君は素晴らしい。ただそれを言いたかったんだ」と最大級の賛辞を贈ったそうです。
非常にエモーショナルに歌い上げるニルソンの「ウィズアウト・ユー」はとてもロマンチックで、独特の優しさにあふれています。
曲終盤の「アイキャントリ〜〜〜〜ヴ」の部分では、3オクターヴ半はあると言われる声域を駆使して、ダイナミックに、しかしセンチメンタルに歌っています。
このサビ部分は伸びやかな高音を持つタイプの歌手にとっては腕の(喉の)見せどころで、マライア・キャリーなどもニルソンの作風を大事にしながら、サビでは驚異の高音を聴かせてくれていますね。
ニルソンは70年代には矢継ぎ早にレコードを生み出しましたが、84年以降は沈黙を続けました。
また、彼はほとんどライヴを演らないことでも知られていますが、これは彼が、実際のライヴで起こるであろうミスをとても嫌い、スタジオ・ワークを完璧にこなすことを大事にしていたものと思われます。
1994年1月15日に心不全のため52歳の若さで亡くなりました。
52歳と言う余りに早い死を悼むかの様に、マライア・キャリーが歌う「ウィズアウト・ユー」がチャート急上昇を始めたのは、それから10日後の事だったそうです。
昨日、車に乗ってCDをかけると(とは言っても私の車にはHDが付いており以前にダビングしたCDを聴くことになるのですが)マライヤ・キャリーのウィズアウト・ユーが聞こえました。
この曲を聴くとどうしてもニルソンを思い出すのです。
彼のウィズアウト・ユーは絶品でしたね。
最高裁の判決にたてつくとはとんでもないことだと思われるでしょうが、ことこの件については最高裁の判事の思想が絡んでいるために可とできないのです。
大江健三郎のことは、三月十一日の東日本大震災襲来以来、二〜三日の携帯食料だけで被災地に入って屋根の下で眠ることなく、不眠不休の救助活動を続けている自衛隊員のご苦労を思うとき、時々脳裏の片隅に浮かんでいました。
『そういえば、大江という馬鹿がいて、この自衛隊員を同世代の恥だと罵っていたなー』と思い出していたのです。
するとこの度、最高裁判所において、沖縄の渡嘉敷島などで大東亜戦争の沖縄戦で「軍の命令による住民の集団自決」があったと書いた大江の「沖縄ノート」(岩波書店刊)の記述が事実と認められ、「軍命令はなかった」とする原告の主張を認めない判決があり確定した、という報道がありました。
大江の「沖縄ノート」では、渡嘉敷島の島民などは、軍の命令で集団自決に追い込まれたと書かれています。
大江は、その命令を赤松大尉が下したとして、赤松大尉をナチのユダヤ人大量虐殺者と同じであると罵倒し、「屠殺者」と表現している。
しかし、そのような命令を下していない赤松大尉としてはたまったものではない。
また、これは、戦史における日本国の名誉がかかった問題でもある。
そこで、赤松大尉は原告となり、大江健三郎と岩波書店に対して自己の名誉の回復と、事実に反する「沖縄ノート」の削除をもとめる訴訟を提起したのです。
そして、この原告の主張を退け、軍命令はあったとして、原告を「屠殺者」とする「沖縄ノート」を未来永劫残すべしとしたのがこの度の最高裁判所の判決なのです。
では、赤松大尉の渡嘉敷島民に対する「集団自決せよ」との命令は、あったのか。
その命令に従って島民は集団自決したのか。真実はどうなのか。
今まで小説や物語に「軍の命令で自決した」とする内容があったために国民の皆さんもそう思われてきたのでしょう。
作家の曾野綾子氏は、沖縄の渡嘉敷島で現地調査を行い、生存者の証言を得ている。その証言は、
1、赤松大尉は、住民に自決するなと命じていた。
2、住民は、遺族年金をもらうために軍の自決命令があったと申告した。
この二つの証言があれば、事実の認定は明らかである。
集団自決の軍命令はない。
赤松大尉は集団自決を命令していない。
これ以外の結論は、ありえない。
上記以外にも多くの証言がありながら、最高裁はそれを証拠として取り上げもしなかった。
しかるに、最高裁は、赤松大尉を「屠殺者」として罵倒する「沖縄ノート」の記述を護った。
無実の者を犯罪者として処罰しようとした検察は厳しく批判され断罪されている。
そうであれば、無辜を「屠殺者」とする「沖縄ノート」を存続させる最高裁も断罪されねばならない。
しかし、最高裁は、平然とそれを為して制度上批判を免れている。
最高裁に「正義(ジャスティス)」はないのです。
我が国に、「司法」はないのか、と残念で堪りません。
反日作家の大江に「屠殺者」とされた赤松大尉の無念、ご家族のやるせなさ、お察し申し上げる。
そして思う。
反日活動家、反日作家が、如何にまっとうな国民を言われなく苦しめてきたか。
大江に恥辱とまで罵倒された自衛官達は如何に情けなかったか。
従って、もうこのような者達が「活躍する」ような戦後日本から脱却しなければならない。
ノーベル賞作家大江健三郎、彼と同じ年代の最高裁判所の担当判事達、そして、防衛大学校の校長でありながら総理の靖国参拝を非難する「衰亡構想会議」議長などは、全てトサカから足の裏まで「反日」という戦後の時代病に犯されているが故に出世した哀れな時代の廃物である。
さはさりながら!
最高裁の判決がどうであれ、 虚偽を書き連ねた大江の「沖縄ノート」が残ろうと、 集団自決の軍命令はない。
このことを確信しよう。国家の名誉を護ろう。
そして、何時もご冥福を祈ろう。
沖縄戦において集団自決していった多くの島民の皆さん。
また攻めてくるアメリカ軍を前にして、負傷兵の側を離れず戦死していった女学生である多くの看護婦の皆さん。
皆さんは、屈辱の生より栄光の死を選んだ英霊です。
イスラエルが、 二千年前の死海の畔のマッサダの砦で、ローマに降伏するより栄光の死を選んで集団自決した千名のユダヤ人を今も忘れず、 一九四四年十一月、二十三歳で栄光の死を選んでナチスに殺害された女性兵士ハンナ・セネッシュを今も忘れないように、我が日本も、沖縄戦における幾多の英霊に手を合わせてその苦難を思い、決して忘れてはならない。
最後に。
日本文学を研究してこられたドナルド・キーンコロンビア大学名誉教授(八十八歳)は、東日本大震災の発生から日本国籍を取得し日本に永住することを決心したという。
キーン教授は、自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった、日本国民とともに何かをしたい、と読売新聞に語っている。
日本への帰化は、震災で決意した。日本への期待と確信の表現だという。
キーンさんは、大東亜戦争末期に我慢強く疎開する人々を上野駅で見かけ、「こうした人々と共に生き、ともに死にたい」、「日本を愛し信じている」と日記に書いた作家の高見順に触れ、「私は今、高見さんの気持ちが分かる」と語った。
ドナルド・キーンさんは、年齢から見て、日本を死に場所にしたいのだ。
この報に接し、感動した。
東日本の苦難の中の人々と運命をともにしたいと、外国から日本に来られる文学者がいる。ありがたいことだ。
すると、同じ文学に携わる日本にいる大江という人物のことを思はざるをえない。
大江氏が、ドナルド・キーンさんと反対に、「沖縄ノート」という祖国の名誉を傷つける反日偽書を残すことに固執するほど日本が嫌いで、今黙々と働いている自衛隊を恥辱だと思うのなら、日本から出て、ノーベル文学賞をぶら下げて、あこがれの近くの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうかと。
知人が「裁判は金次第」と言ったのを思い出しました。
この日本のどこに正義はあるのでしょう。
実は、このことは一昨日に書くべきことでした。
マスコミ界では、大震災の東北被災地の様子や福島原発そして地方選挙の投票状況に目がいって、大江健三郎が、最高裁で勝訴したことは意外に小さく扱われていました。
しかし、この最高裁における大江健三郎勝訴判決は、我が国の最高裁判所が、「国家における真実と正義」を認識できない戦後の時流の中で泳いできた反日家達によって構成されていることを明らかにした決定的「事件」です。
彼ら最高裁の裁判官達は、大江健三郎と同じ種類の人物で、自己の偏見によって裁判の基本である「事実認定」すらできなくなっているのか、もしくは、偏見を正当化するために事実認定を放棄して司法を裏切っているのか、どちらかです。
1946年頃からニューヨークを中心にチャーリー・パーカーやレスター・ヤングなどのバックを務めました。
1955年にマイルス・デイヴィスのバンドに入り活躍しました。
58年まで在籍しますが、マイルスが新しい方向(モードの導入)にいったため退団します。
56年から62年にかけてガーランドは、ピアノ・トリオ盤などをプレスティッジ、ジャズランドなどのレーベルに多数録音します。
またジョン・コルトレーンや、他多くのセッションにも参加しました。
しかしその後は、テキサスへ戻り引退してしまいます。
ロックの台頭に嫌気がさしたようです。
レッド・ガーランドは確立したスタイルを持っていたので、どのアルバムを聴いても『レッド・ガーランドだ』とわかります。
それを『つまらない』と思う人もいるでしょうが、彼のその個性を聴きたくなるのはおかしなものです。
そのせいで39歳で1962年に引退した後、47歳で1970年にカムバックしてからも、また晩年も衰えたりといったことは全くなく、その健在ぶりに嬉しくなりました。
彼のスタイルとはタッチはソフトで、しかも、たいへんスイングするピアニストでした。
そのブロック・コードを活かしたピアノはガーランド節とよばれました。
彼のブロック・コードは、右手で3音、左手で4音を押さえているようですが、自然に響きました。
ほら、こう書いているとレッド・ガーランドのピアノを聴きたくなりました。
毎日、ヤギ小屋を造っています。
久々にジャズ・ピアニストの話です。
1984年の今日、4月23日はジャズ・ピアニストのレッド・ガーランド(William "Red" Garland)の命日です。
彼はアメリカテキサス州ダラス出身のボクサーという異色の経歴を持つていました。
彼の音楽は、クラリネットなど管楽器から始まったそうです。
軍隊に入ってからピアノを弾くようになったのだそうです。
東北の震災地では桜が満開とのニュースでした。
あんなにひどいことになっても桜は咲くんですよね。
自然ってすごいですね。
大工集団 欅の庭にある琉球薄墨桜(上の写真)と山桜(下の写真)も満開となりました。
どちらの木も大雪で枝がたくさん折れてしまいかわいそうな形となりましたが元気です。
15日から始めたヤギ小屋造りは今日で完成の予定です。
あとはヤギを遊ばせるところの柵作りをするだけです。
ヤギは28日に連れてくる予定です。
そのために最近では人工的に増殖した上で野山に植える試みが行われ、観光名所になっているところもあるそうです。
私がこの地へ引っ越してきたときにはもっと沢山のかたくりが咲いていました。
それが少なくなったのは・・・、喫茶 大工集団 欅をオープンしてからなのです。
来店されたお客様が採って行かれるので年々少なくなってしまいました。
かたくりだけではありません。
フキノトウ、タラの芽、あさつき・・・。
たくさんの季節の物が少なくなりました。
来店されたお客様に季節を味わっていただこうと開いた店のですが、その為に季節が少なくなって行くのは・・・・、とても残念です。
お客様に「採らないで」とも言えず、困っています。
どうしても欲しい人は、たくさん採らずにいただきたいものです、季節を多くの人に味わってもらうために。
自然は一人のものではありませんから。
今、大工集団 欅の裏山はかたくりの花が満開です。
かたくりの花は万葉集にも堅香子の名で詠まれるとともに、春の季語としても親しまれてきたユリ科の多年草です。
昔は日本では落葉広葉樹林のある各地で広く見られたそうですが、近年では乱獲や盗掘によって減少しているそうです。
大工集団 欅が施工する新築228棟目は過去最小の建物となました。
三人の大工がいつもながら楽しそうに仕事をしているのを見ていたら私も手伝いたくなりました。
お客様の家ではさすがに素人が手伝うのは憚られますが、そこはそれ何しろヤギ小屋ですからほんのわずか手伝いました・・・、じゃまをしたと言った方が正確かもしれません。
でも自分たちが使う建物なのですから自分で手を加えたところがあると愛着があると思うのですが・・・。
ですから、大工集団 欅がお客様の家を建てているときも、お客様自身が何かしら手を入れられれば良いと思います。
その分、愛着がわくはすです。
過去にはデッキをご自分で造られたお客様もおいでます。
そのデッキで食べるバーベキューは絶対に美味しいはずです。
ご主人が「このデッキを造ったときは・・・」なんてお子さんに話もされるのでしょうね。
さて話は戻ってヤギ小屋ですが、大工は明日からお客様の家を造らなければなりません。
つまり今日までしかヤギ小屋の仕事ができないのです。
あとは大大頭領である私が造ります。
お客様の家ではないのですから、多少下手でもいいでしょう。
その分、愛着がわくはすです。
しばらくご無沙汰しておりました。
その間にも大工集団 欅ではいろんな楽しい事や季節の移り変わりがあったのですが・・・。
さて、今日はお日柄も良く、豪華大邸宅の新築であるヤギ邸の棟上をしました。
早い話がヤギ小屋の棟上です。
2011年4月15日 |
また一人の若者は「みんな大変だから・・・」と書いていました。
若者でも『みんな・・・』という意識があることにホッとします。
日本も捨てたものではありません。
まだまだ、こんな若者がいるのですから。
大丈夫。
日本人に生まれてよかった。
昨日(大震災のあった日)の夜中、大学から徒歩でアパートへ帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパンを配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできることをみつけて実践している人に感動した。心温まった。東京も捨てたもんじゃない。
昨日(大震災のあった日)のこと。近くのコンビニが停電の自家発電で営業していた。レジに長蛇の列が出来ているさなか、燃料が切れたのか自家発電が切れてレジが動かなくなった。真っ暗な店内。皆手に持った商品を棚に戻して店を出て行った。そのまま持って出ても誰も分からないのに。日本人って素晴らしい。日本に生まれてよかった。
バイト中に地震があってほぼ満席の状態からお客さんに外へ避難してもらいました。食い逃げはないだろうな、と思っていたが殆どのお客さんは店に戻ってきて会計をしてくれました。そして次の日、「昨日の支払い」と言ってお金を持ってきてくれたお客さんがいました。こんな国は他にはないだろうなー。日本を誇りに思えた瞬間でした。
昨日(大震災のあった日)は大学へサークルに行っていました。帰りに交通機関がストップして何時間も歩き続けたんだけど、至る所でトイレ貸しますとか、休憩できますとか書かれた張り紙をつけたビルや店が沢山あって感動しました。「休んでいってくださーい」と店の人が大きな声まで出しているのを見て感動して泣きそうになった。マジで。きっと涙は出ていました。都会は冷たいとかいうけれど、そんなことはない。日本人ってスゴイ。日本人はこうやって今までも困難を乗り越えてきたんでしょうね。
都営大江戸線の光が丘方面行きはとても混雑していました。ホームにも、改札の外までも、電車を待つ人で溢れんばかりでした。でも、誰一人列を崩さず、通路を開け、係員の誘導に従っていました。ロープがあるわけでもないのに、通る人のために通路スペースが確保されていました。その不自然なほどの快適さに、ただ感動するだけでした。
東日本大震災、当店でもお客様との会話はほとんどこの話です。
そんな中で若者達からのメールで救われています。
その一部をご紹介しましょう。
←
右は去年の4月4日の鯉のぼりです。
今日から鯉のぼりをあげたのですが、鯉のぼりの季節に雪が残っているのは初めてのことです。
気のせいでしょうか、こんなに晴天なのに鯉のぼりが泳ぐのを見ても心なしか元気がないようです。
4月に入りました。
4月と聞けば春なのですが、吉野ではまだ残雪があります。
「ヤギを飼う」と言うといろんな反応があります。
1.「いいなー!」と言う人。
2.「アホか、何を考えているんだよ」と言う人。
3.「・・・・・」何も言わない人。
確かに犬や猫とは違い家畜ですから飼うにも面倒臭いところがあるのは覚悟の上なのです。
小屋を考えても、犬小屋とは違いヤギ小屋は基礎から造らなければならないくらい違います。
私達の生活も当然変わるでしょう。
でも、きっと彼女たちは現代人には味わえない素晴らしい生活を私達に与えてくれると思います。
いよいよヤギ小屋の着工です。
昨日から基礎を造り始めました。
3月終わりだというのに雪が残っており今日まで着工できませんでした。
ヤギが5月に来るというのに、お住まいが出来ていなければお迎えすることも出来ません。
日本書紀に『民のかまど』の話があります。
仁徳天皇が難波の高津宮から外を見ると、かまどを炊く煙が見えない。
「民は食事を作ることもできないのか」と嘆いた天皇は3年間課役を免除するとともに、自らもぜいたくを絶ち、宮殿は荒れるにまかせたそうです。
3年後に再び高殿に立つと、こんどは多くの煙が見え、天皇は「これで私も豊かになった」と満足されました。
「宮殿は荒れ放題ですのに・・・」と不満げな皇后に「民が豊かになるのが私が豊かになることだ」と仁徳天皇はお答えになったそうです。
この『民のかまど』の精神は歴代の天皇に脈々と受け継がれてきたようです。
昭和天皇は戦後間もなく全国を巡幸されました。
着ていかれる洋服がみすぼらしいと、周囲は新調を勧めたが「みなが着るものにも不自由しているのだから」と、断られた。
学校の板の間にゴザを敷き、黒いカーテンをかけお休みになったこともあったそうです。
今上天皇、皇后両陛下が、大震災の後に「自主停電」されているという話にも鼻のあたりがツーンときた。
15日から「第1グループ」の計画停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられるそうです。
実際に停電にならない日も、予定通り続けておられるそうだ。
天皇陛下は77歳のご高齢である。
以前には前立腺がんの手術も受けられた。
それなのに「寒いのは服を着れば大丈夫」と、その間は暖房も使われないと新聞に出ていた。
ろうそくや懐中電灯を使いながら、暗い中で夕食をとられたこともあるという。
それほどまで国民に思いをはせておられる。
そのことを知れば、被災地で苦難の生活を強いられたり原発の修復にあたったりしている人々の励ましとなるでしょう。
身勝手な買いだめなど決してできないはずだ。
昨日は『TAKARAチーズ工房』へ子ヤギを見に行ってきました。
どうです、可愛いでしょう。
生まれたてから生後1ヶ月くらいまでの子ヤギです。
どの子が大工集団 欅に来るのでしょう。
ヤギ小屋を早く造らなければ・・・。
上の写真は汚れた物ではないのですが・・・。
実は鳥の餌台だったのです。
雪の下になっていたために除雪機で引っ掛けて壊してしまったようです。
雪が融けて姿を現して初めて壊したことが分かりました。
コレけっこう重いんですよねー・・・・。
さてさてどうしたものでしょう。
今年は3月半ばを過ぎたというのにまだ雪が残っています。
この調子では4月に入っても雪があるのではないでしょうか。
それでも少しずつ残雪の高さが低くなっています。
雪が降ると汚れた物の上にも積もり見えなくしてくれるので、全てが白く美しくなります。
ところが、融け始めるとまた汚れた物が見えてきます。
ふりつもる み雪に耐へて 色かへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ
この歌は終戦の翌年に昭和天皇が詠まれた歌です。
敗戦で日本が焦土と化し、全国民が敗戦に打ちひしがれているときに、おそらく皇居の松を見ながら詠まれたのでしょう。
降り積もる深い雪に、多くの木は葉が落ちて色も変えている。
そんな中で松は全く衰えず色を変えていない。
人もこうあって欲しい、と詠まれた歌です。
日本の歴史の中で最も困難なときに、昭和天皇はこの歌を詠んで国土を復興させようと立ち向かう人々の姿を緑豊かな力強くたくましい松にたとえて国民を励まされたのです。
それ以来、日本国民は、まさにこの心意気で、自助と自律の努力を重ねてきました。
まさに今の私たちに向けられた言葉のようです。
今こそこの言葉を拳拳服膺したい。
厳しい状況にあっても、心を枯らさないように。
必ず光は見えてきます。
小さなことでも自分ができることはやっていきましょう。
少しの声がけでさえも勇気づけられる人がたくさんいます。
誰もが一人じゃありません。
皆で乗り越えましょう!
ここには政治的な事は書きたくないのですが、今朝の新聞に
『政府・民主党は18日、東日本大震災と福島第1原発の事故への内閣の対応能力を強化するため、閣僚数の上限を17人と定める内閣法を改正し、当面閣僚を3人増員する方針を固め、野党側に協力を求めた。政府・民主党は自民党に対し、大島理森同党副総裁の震災対策担当相への起用を打診した。自民党は震災対応で政権への協力姿勢を鮮明にしているが、菅直人首相の失策の責任がうやむやにされる可能性があるとして拒否する構えだ。
政府・民主党は震災対策担当相や原発事故担当の特命相の新設を想定している。大島氏に加えて国民新党の亀井静香代表の副総理格での起用や仙谷由人官房副長官の入閣を検討している。』
また
『民主党の岡田克也幹事長は18日、東日本大震災に関する政府と与野党の合同会議で閣僚増員を提案し、野党から反対意見はなかったが、各党が持ち帰って検討することになった。
岡田氏は閣僚増員と合わせて内閣府副大臣・政務官、首相補佐官を増員することも提案した。政府・民主党は3月中に内閣法を改正し、ただちに増員したい考えだ。』
との記事が出ていました。
16日に『経験者である各省の官僚OBを三顧の礼をもって官邸に非常招集すへきだ』と書いたのですが、親方ばかりを増やしても・・・。
この様な危機には現場を知り、横のつながりを知る指揮官が必要なのでは・・・。
ポストを増やしても実務者がいなければ、現場の人は動けません。
不埒だとのご意見もあると思いますが、あえて書くなら、この期に及んでも政権を立て直したい一心というのが透けて見える。
震災をきっかけに支持率回復を図りたいという菅首相の本音が、如実に意識として出ているようです。
更に言わせていただければ、
辻元清美氏をボランティア担当総理補佐官、蓮舫氏を節電担当大臣に任命しました。
この人選の是非を皆さんに問いたいと思います。
辻元氏の母体はピースボートです。
自衛隊はいらないと主張し続け、阪神淡路大震災の際にも、現地入りをしてから、「自衛隊は暴力装置、自衛隊の支援は絶対に受けてはならない」とビラをまき続け、自分たちはがれきの撤去も医療もできず、マスコミと一緒にただ騒いでいただけだったではないですか。
やった事と言えば、届いた支援物資を「自衛隊を排除して」自分たちで勝手に仕分けて住民に渡しただけで、現地ではただ口うるさい邪魔者でした。
この経験がボランティアの人達に対してどう生きるのでしょうか。
少なくとも彼女では自衛隊との協力態勢は作れるはずがありません。
彼女は2005年10月1日に「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の、“国壊議員”や!」と言った人なのです。
そんな国民の生命と財産を守らないと言った人を菅首相は総理ボランティア担当大臣にしたのです。
次いで蓮舫氏、ひょっとして彼女は今回の震災でも削減するならなんでもという事で任命されたのでしょうか。
彼女が実働できる領域はどこにあるのでしょうか?
そもそも2009年の事業仕訳で、「100年に1度の大災害に対処する必要があるのでしょうか」と、スーパー堤防や大災害時に引き出す災害対策積立金を仕分けしたのは他ならぬ彼女ではないですか。
蓮舫、民主党が仕分け ・ 廃止したものを書き出して見ましょう。
・ 石油と塩の備蓄 ( 仕分けパフォーマンスの生贄でした )
・ 防衛費 ⇒ 自衛隊災害救出活動も縮小 ( 日本の自衛・防衛弱体化は民主党の継続悲願です )
・ スーパー堤防 ( 100年に1度の大震災対策は不要と主張 )
・
災害対策予備費 ( 地震予測や火山監視等の削減、生活保護枠拡大(母子家庭)の財源化 )
・ 地震再保険特別会計 ( 子ども手当の財源化 )
・ 耐震補強工事費 ( 高校無償化の財源化 )
・ 学校耐震化予算 ( 自民党が推進していた政策 )
・ 除雪費用 ( 蓮舫が東北地方整備局を目の敵に )
・ 八ッ場ダム ( 「河川は自然堤防のままが環境にやさしい」と主張 )
・
科学技術振興機構、日本原子力研究開発機構 (研究費等削減)
国民の命を繋ぐために必要だったものを切り捨て、災害対策を削減した彼女が今になって災害対策をさせられているのは因果応報です。
しかし、その仕事がふさわしいかどうかは別問題です。
節電は各種団体との調整が不可欠です。
ここは民主党なら海江田万里氏など産業界と近い人、もしくは野党でも良いから有能な人物を起用すべきだったのではないでしょうか。
ここに阪神大震災の被害者が書かれた一文をご紹介します。
『みんな、阪神大震災のこと忘れちゃったの?
私は神戸出身です。
大学生の時に阪神淡路大震災を経験しました。
みんな、あの震災のこともう忘れちゃったんですか?
民主党は旧社会党の議員が多くを占める政党です。
名前は民主党に変わりましたが、実態は土井たか子や村山富市がいたあの社会党と変わりません。
あの震災の時、村山内閣が何をやったか、みんなもう忘れちゃったんですか?
その反自衛隊思想から自衛隊の出動を取り返しのつかないほど遅らせ、 多くの人々を死に追いやったこと。
泣きながら自衛隊の出動を国会で要請した地元議員に、薄汚い野次を飛ばした社会党議員のこと。
また、自衛隊より先に現地入りした辻元清美等が、私たち被災者に 「自衛隊は違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください。」と書かれたビラを配っていたこと。
助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たちと赤十字の人たち、消防の人たち、そしてボランティアの人たちでした。
一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの辻元清美等でしたよ。
こちらが必要とする事は何もできず、逆に残り少ない食料や飲料水を消費していきました。
本当にみんな忘れちゃったんですか?
知らないなら知ってください。
忘れているなら思い出してください。
私はそんなの絶対に嫌です。
どうかお願いです。』
・・・みなさん、どうですか?
辻元はボランティア担当総理補佐官が務まるのでしょうか。
蓮舫氏を節電担当大臣、辻元清美氏をボランティア担当総理補佐官。
そんな人事をしてからやっと今回の大島自民党副総裁の震災対策担当相への起用の打診です。
菅首相の短絡的で姑息な考えが見て取れます。
官僚を叱り、東京電力を恫喝していてもなんの解決にもなりません。
パフォーマンスであることは見破られているのではないでしょうか。
困っているのは政府ではありません、被災された人達です。
お断りしておきますが、私は自民党員でも共産党員でもありません。
東日本大震災。
本当に何と言って良いのか・・・。
被災された方々はどの様にして過ごしておいでるのでしょうか。
考えさせられることが多い。
私のような者が考えることは皆さんも考えておいでるでしょうが・・・。
阪神大震災の時は、村山首相は愚かにも人命救助よりイデオロギーを優先させ、自衛隊の出動要請も遅れ、米国の支援さえも拒否した。
民主党の「政治主導」も誤りだったのではないでしょうか。
政務三役での国家危機管理ができないことが証明されました。
今の首相側近には未熟・未経験で、危機管理ができる補佐官はいません。
この様な危機では経験が何よりものをいいます。
今、大事なことは阪神大震災や東海村原発事故を処理した各省の官僚OBを非常招集して、地震と原発の諮問委員会を速やかに立ち上げることなのではないでしょうか。
経験者である各省の官僚OBを三顧の礼をもって官邸に非常招集して、OBの諮問委員会を設置すべきなのでは・・・。
自衛隊は不要、国連軍にすればよいとした民主党の考えは如何なものでしょう。
不見識にも2万人→5万人→10万人と、たった2日の間に危機管理の禁忌である「兵力の逐次投入」の愚を演じ、さらに戦後初めて予備自衛官の非常招集を行うとは、手の平を返したように何から何まで自衛隊です。
仙谷氏も疚しい沈黙を守っていないで堂々とテレビ会見してもう一度、「自衛隊は暴力装置」と言うか、撤回して謝るか、姿勢を明らかにしてほしいものです。
テストで一脚に掛けてみたところ、
『ナンダカ結婚式場の椅子みたい・・・』
『でも、上品でエエんじゃない』
ということになりました。
この椅子はイタリア製のリクライニングチェアです。
喫茶店に用いる物としては少し大きいのですが、おくつろぎいただけると思い採用しました。
カバーのお披露目は四月に入って雪が融けて・・・、春になってからです。
話を変えましょう。
喫茶 大工集団 欅で使っている椅子の新しいカバーの試作品が出来ました。
写真の左側です。
今まで3種類のカバーを使ってきましたが、春物に少し痛みが出てきましたので作ることにしたのです。
今までは無地の生地を使ってきたのですが、今回は初めて小さな花柄の地模様がある生地にしました。
昨夜、地域の男50歳以上の会で新年会がありました。
その中で、
「大雪なんてあの被害に比べればたいしたこと無い。」
と、皆口にしていました。
私達は常日頃、贅沢な、裕福な生活をしていることを知らされました。
東日本大震災は未曾有の被害を今も拡大しています。
被災者の皆様には何と申し上げたらよいのか・・・。
大変なことになってしまいました。
マグニチュードは8.8だったそうです。
阪神大震災でさえも7.3だったのに・・・。
1.5の違いはエネルギーでは178倍にあたります。
とんでもない地震だったのです。
早朝には長野でもマグニチュード6.6の地震があり、その後も余震が続きました。
被災された人達は昨夜はどのようにされていたのでしょうか。
東北はおろか東京の友人知人の安否が心配で、電話を携帯・固定と矢継ぎ早にかけていたのですが繋がりませんでした。
夜9時過ぎになって少し繋がり始めました。
皆さん、元気で安堵しました。
東京でも停電のお宅がありました。
IHのコンロでは食事が作れなかったとのこと。
暖房器具も全滅です。
被災された人達は・・・。
昨日のページに津波と原発の心配を書きましたが、テレビで見る大津波による被害は想像を絶していました。
多くの方が亡くなられました。
また、福島第一原発では冷却水の非常時ディーゼル発電機が動かず冷却できなくなったために、放射線量が午前7時40分現在で通常時の約73倍に当たる5.1マイクロシーベルト時だったと原子力安全・保安院が発表しました。
東京電力は午前9時から、福島第1原発1号機の原子炉格納容器の減圧作業を開始しました。
減圧作業で弁を開けて蒸気を外部に放出すると、放射性物質が環境に漏れる恐れがあります。
しかし、大きな破損を防ぐための緊急避難的な措置で致し方ないでしょう。
国内で実施されるのは初めてです。
被災者の皆さん、国も国民もみんな助けてくれます。
どうにかしてこの大きな波を乗り越えてください。
先程、宮城県沖で巨大地震があったようです。
まさか石川県まではと思いますが、津波が心配です。
原発の放射能漏れ・・・。
東北では宮城県の女川原発、福島県の福島第一・第二原発、青森の東通原発・・・。
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愛知県常滑市は7日、同市消防本部の男性救急救命士(38)が、交通事故負傷者を搬送中に、救急救命士法に違反する点滴を行っていたと発表した。
同本部は当時の状況をさらに詳しく調査をしたうえでこの救急救命士を処分する方針。
同本部によると、救命士は先月7日、常滑市内で起きた交通事故現場に出動。
負傷した男性(35)に、救急車内で血流確保のための輸液を静脈に点滴した。
救命士は「大量出血で意識がもうろうとしていたため、搬送先の常滑市民病院の医師と連絡を取りながら輸液を行った」と説明したという。
負傷した男性は病院で治療を受け、現在は快方に向かっている。
救急救命士法の施行規則では、心肺停止状態の患者に限って医師から具体的な指示を受けながら、点滴や気管にチューブを挿入して酸素を送ることができるが、男性は心肺停止状態ではなかった。
同本部の事情聴取に対し、救命士は「施行規則のことは知っていたが、生命の危険があると思ったので輸液を行った」と話しているという。
救命士は2004年に資格を取得した。
石川忠彦消防長は「救命のためだったが、違法行為は遺憾。病院とのやりとりを含めて、
当時の状況を検証していく」と述べた。
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『目の前の人を確実に助けたい』
これは救急医療に携わる人間として誰もが共通して持つ想いなんじゃないでしょうか。
そして助ける方策とそのスキルがこの救命士にはあったのです。
独断で行ってもいない、ちゃんと医師の指示を受けてる。
なのに処分されるという。
施工規則では救命士は心肺停止になるまで点滴ができないそうです。
心肺停止になってはほぼ100%死亡です。
日本では医師の権限を守る為に医療行為は医師の判断によってのみ許可されています。
みすみす心肺停止になるのを待ってから措置を行えと言うのでは、患者が死んだ後で治療を行えと言うのと同じです。
医者に聞けば、静脈への点滴は危険ではないとのこと。
AEDもそうでした。
今ではAEDはどこにでも設置されていますが、以前は高円宮親王がカナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全でお倒れになり亡くなるまで看護師にさえ使わせなかった。
医師利権のために、医師でないと危ないという理由でした。
高円宮親王が亡くなったのが、たまたまカナダ大使館内だったので、日本の遅れっぷりが世界に知れることになり、突然、看護師はおろか一般人までAEDを使えるようになったのです。
【救命士】
命を救う士。
わざわざ大変なこの仕事を選んだくらいなのだから、目の前に死ぬかもしれない人がいて自分に救えるかもしれない技術と知識があるなら救いたいよね。
この救命士の記事を読んで北陸トンネル火災事故を思い出しました。
1972年に北陸トンネルで発生した列車火災事故は、規定通りトンネル内で列車を停止させたために乗客と乗員に多数の死傷者を出す大惨事となりました。
当時の国鉄には、『走行中に火災があった場合は速やかに停止する』という規定があったのです。
この事故の前にも北陸トンネル内を通過中の寝台特急で列車火災が発生したのですが、この時は乗務員(車掌)が機転を利かせて当時の規程を無視して列車をトンネルから脱出させ死傷者を出しませんでした。
しかし、国鉄の上層部はこれを「規程違反」として乗務員を処分し、運転マニュアルの見直しを行っていなかった。
そのため2度目の事故列車は、その規定があるために長いトンネルの中間で停止せざるを得ず、大惨事を惹起したのです。
結果的に、先の火災で停車させなかった車掌の正しさが証明されました。
しかし、車掌の処分取り消しと名誉回復までには十数年かかったようです。
日本って言う国はそんなふうに融通の効かないところがありますね。
『緊急時には臨機応変に対応する』
『まず目的を果たすことを優先する』
これが基本的なルールです。
理屈は後からついてくる。
人命が懸かっているならなおさらです。
法・規則・規定は何のためにあるのでしょうか。
記事の救命士はドラマなら間違いなく不問で、ヒーローなのに・・・。
ちゃんと医師と連絡を取り合って行ったのだし、不問にして欲しい。
こういう使命感ある救命士は尊敬します。
形式的な処分は仕方ないのでしょうが、その心意気を失わないで欲しい。
今の日本は、少しでも面倒や問題になることはしない・断る、が基本となってしまいました。
自分の生活あっての他人の生活だから・・・?
道端で倒れてる人がいても、関わると面倒だから誰も助けない社会、そんな社会を誰が望むでしょう。
先般のニュージーランド地震でも救助に行った医師は現地の医師免許がないから何もできなかった。
が、現地のレスキューはあの環境で日本人の足を切断処置をして助け出してくれました。
・・・なんなのでしょう、この壮大な矛盾は。
例外を認めるとその境界が曖昧になるのは理解できます。
もちろん法に不備があれば改善は必要だが、今回も法に従い処罰は当然だし仕方がないのでしょうか。
だが、彼を褒めこそすれ、責める人はいないでしょう。
私が消防総監だったら・・・。
「規則に抵触したから、停職一か月とする。
1ヶ月間自宅で謹慎してい給え。
ただし、人命を臨機応変の判断で救ったので特別総監賞を授与する。
副賞は1ヶ月分の給与相当額。」
・・・と、ニヤリとウインクなんかして伝えますね。
今朝の新聞に気になる記事が出ていました。
長くなりますが転用します。
母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
届かぬ願いと知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
呼んでください おがみます
ああ おっ母さんよく来たと
海山千里と言うけれど
なんで遠かろ なんで遠かろ
母と子に
悲願十年 この祈り
神様だけが知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ
【岸壁の母】の歌詞です。
覚えていました。
大東亜戦争終結後にソ連が行ったシベリア抑留という蛮行を知らなければ、この歌詞の意味は理解できません。
日本人として忘れてはならない歴史です。
ところで、毎年4月に行われる兵庫県福良八幡神社の春祭りで、宮入奉納されるのが【だんじり唄 岸壁の母】です。
形にとらわれない良さの歌謡浄瑠璃崩しのだんじり唄です。
人情たっぷりに魅了します。
この歌詞は
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ヤーーー静めましょ サーヨィ!
空を飛び行く鳥でさゑ きっと帰って来るものを
新二はなぜに帰らない
母:「端野新二は 居ませぬか 端野新二は 居ませぬか
新チャン お母さんだよ 新チャン 新チャァン」
狂気の如く我が子の名を呼び続け 今日も来ました此の舞鶴ゑ
アゝ風よ心有なら伝ゑてよ 恋し子待ちて今日も又怒涛くだくる岸壁に
立たづむ母の姿を
♪母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
届かぬ願いと知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて♪
母:「決して未練で云うのじゃ有りませぬ お召しを受けてお国のために
捧げた命 大陸の土になるんだと 覚悟で出征致しました
戦争が終わったら昔のまゝの母と子 キット新二は生きて帰って来る
元気の姿で帰ったら 此の細腕が折れる程 抱き〆てやりたい
新チャン お母サンだよ 声が聞こえるかい 帰れないなら大きな声で
呼んで下さいお母さんと只一言」
♪呼んでください おがせみます
ああ おっ母さんよく来たと
海山千里と言うけれど
なんで遠かろ なんで遠かろ
母と子に♪
引揚船の来る度に此の岸壁え四年越 貧しい我が身のかなしさ故に
宿の払も思うにまかせず其が故に 日帰する事二度三度
子を想う親心 逢いたいわいのと
声を上げ 金さえあるなら此の岩壁に
小屋をたて 我が子の帰りを何時迄も
母:「あれから十余年経った今 あの子はどうして居るでしょう
雪と風のシベリヤは 嘸々(さぞさぞ)辛(つら)かっただろう
命の限り抱〆て暖めてやりたい
早く帰って嫁を取り 生孫の顔見るたった一ツノ願いと
其の日来る迄私しゃ死にわせぬ 待って居る 何時迄も」
♪悲願十年 この祈り
神様だけが知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ♪
ソ連の港ナホトカの 空に向って声を上げて新チャン
早くお母さんの胸に すがっておくれよと 呼んで叫んで其の日迄
生きて行きとうございます
アヽ其の夢が有ればこそ 鳴く蝉よりもなま泣かぬ 泣くほたるが身を焦す
母はしじゅうせき上げせき上げ
子故に迷う親心 子にひかされる女気の
今日は最後の引揚船 今日も新二は帰らない
我が子の帰らぬ岸壁で 涙こらゑてトボトボと 杖を力に帰り行く
サッ ヤー栄えましょ サーヨィ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福良にも【岸壁の母】に感動した人がいたのですね。
日本には浪曲という庶民的な義理人情に訴える芸があったのに・・・。
薄っぺらな曲ばかりになってしまいました。
【岸壁の母】
日本にはもうこの様な歌を作る人もいなければ、歌う人もいなくなりました。
今朝の新聞に代表曲【岸壁の母】で知られる歌手の二葉百合子さんが昨日引退コンサートを行い、77年の芸能活動に終止符を打ったと書かれていました。
その記事を読み、『岸壁の母好きやったなぁ〜、もう一度聴きたい』と思いました。
ジャズしか聴かない私で、演歌は苦手なのですが、彼女の歌う【岸壁の母】は何度聴いても涙が出ました。
上の図は1963年から1998年に地球で(月にも地震はあるそうです)発生した地震の分布図です。
地震の震央(発生源)の分布にはっきりしたパターンがありますね。
地震の多い場所がハッキリと分かります。
日本が地震国だと自覚できます。
それに海では線のように震央があります。
断層と呼ばれる地下の岩盤があるところです。
日本では古来より「地中深くに大ナマズが存在し、その大ナマズが暴れることにより大地震が起きる」という俗説が信じられていましたね。
一部の人々には今でもナマズが暴れると大地震が来ると信じられています。
ナマズで地震の研究をしている人もいますよね。
でも、ナマズが地震を予知できる根拠は見つかっていません。
昨日飛騨地方を震源とする地震が夜中と早朝にありました。
白山吉野では震度3だったそうです。
この時、不思議な経験をしました。
ベッドに入ったばかりの時に『地震が起こりそう・・・』と思ったのです。
見事、数秒後にグラっときました。
早朝の地震の時には眠りからパッチリと目覚めたところにグラっときたのです。
ナントも不思議な経験をしました。
地震とは地球表面の地殻の内部で固く密着している岩盤同士が、断層と呼ばれる破壊面を境目にして急激にずれ動くこと。
・・・なのだそうです。
この日は明治38(1905)年に閣議決定を経て竹島を島根県の所管とする同県告示が出された日です。
戦後独立した韓国の李承晩政権が昭和27年、竹島を韓国に組み込む「李承晩ライン」を一方的に設定しました。
以来、竹島は日本固有の領土であるにもかかわらず、韓国政府が不法占拠を続けています。
・・・でも、日本にはこんなことすら知らない人がいるんですよねー。
領土問題は本来、国が主導すべき問題です。
国の主権は、国家と国民に根幹を置くものですが、国土(領土)はその根本的な基本をなすものです。
いずこの主権国家であっても、国土は主権の基底となるゆえに、その国の領土について子供の時分から学校教育、さらには個々の家庭教育を通じて教えられています。
国の誇りとともに、国旗、国歌の宣揚もごく自然に教えられていることは言うまでもありません。
どうして日本ではそれが出来ないのでしょう。
国家、国民にごく当然にあるべき主権認識の基本と、その基底にあるべき領土の大切さを、この竹島の日をあらたな端緒として確認すべきなのではないでしょうか。
島根県は今年、前原誠司外相、高木義明文部科学相らに招待状を出したそうですが、いずれも「日程上の都合」で欠席するという。
代理も出せないのでしょうか。
沖縄県石垣市が条例で制定した「尖閣諸島開拓の日」の1月14日、同市が初めて行った記念式典にも、政府からは誰も出席しませんでした。
「北方領土の日」の2月7日、政府・自治体関係者ら約1500人が参加した返還要求全国大会に比べ、冷淡に過ぎる。
尖閣諸島を守り、竹島を取り戻す運動を地方自治体に任せるのでなく、外務省などが率先して取り組むべきである。
竹島問題は昨年の尖閣事件やロシア大統領の北方領土訪問などのニュースにかき消されがちです。
ロシアは中国と韓国に北方領土で合弁事業を呼びかけ、韓国をも領土問題に巻き込もうとしており、要注意です。
中国の軍拡や北朝鮮の核の脅威が深刻化する状況下で、日米韓3カ国は安全保障面で連携を強めなければならない時期でもあります。
だが、そのことと竹島問題は次元が違います。
竹島問題は日本の主権に関わることなのです。
主権を守ることは国家の根本原則です。
菅政権は譲歩してはならない。
今春、竹島を明記した学習指導要領解説書に基づく中学教科書の検定結果が発表されます。
この結果にも注目したい。
教科書の記述の有無にかかわらず、学校の先生は事前に竹島や北方領土、尖閣諸島が日本固有の領土であることの由来などを十分に調べ、それを子供たちにきちんと教えるべきです。
【竹島問題】については下記のページをご覧下さい。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
今日は何の日だかご存じですか。
竹島の日です。
2005年に「竹島の日を定める条例」(平成17年3月25日島根県条例第36号)により島根県が定めました。
今年も松江市で竹島の返還を求める行事が行われます。
島根県が条例で定めてから6年がたちますが、今年も政府関係者の出席予定はありません。
残念です。
私が此方に引っ越してきたときは近くの味智里の団地もなく、勿論周りには一軒の家もありませんでした。
そんな中で直ぐ近くにナメコを作っておられる石田さんの工場がありました。
お住まいにはなっていませんでしたが、たった一軒のお隣さんでした。
この石田さんは私にとってかけがえのない人となりました。
お父さんは満州で生まれ、戦後苦労して帰っておいでました。
お母さんと苦労をして働き三人のお子さんを育てられました。
ご長男を交通事故で亡くされたときの辛苦は察するに余りあります。
いつもニコニコとしておいでて、お母さんとの会話は途切れたことのない人でした。
仲の良いお二人を見ていると『俺も歳を取ったらあんな夫婦でいたい』と思ったものです。
知識の豊富な人で、科学雑誌『サイエンス』の読者でした。
その知識は多義に及び、そのため私達は「ツルピカ教の教祖様」と呼んでいたくらいです(頭の毛が少なくツルツルでした)。
お話をしているのがとても楽しい人でした。
そして私の最高の理解者でした。
「ヤギを飼う」と話したら多くの人は「何をバカなことを」と言われますが、彼は話せなくなった病床で『OK』と指で示してくれました。
たくさんの想い出を残してくれて、昨夜、亡くなりました。
享年80歳。
残念でなりません。
ありがとうございました。
合掌
どうです、見事なナメコでしょう。
作られたのは石田稔さんです。
人と人の交わりは種々ありますが、親類縁者以外でお隣さんだけは選べません。
友人等ならば気が合わなければ付き合わなければいいのですから。
ですから、お隣が気が合う人達だったならラッキーなのです。
以前にも彼の話を何度か書きましたが板前でありながらこんな機械の修理も出来るのです。
彼の旅館の倉庫にはありとあらゆる工具が揃っています。
倉庫だけを見ると機械屋です、とても旅館とは思えません。
ああ、皆さんも彼をテレビでご覧になったことがあるかもしれません。
白山麓の観光番組やニュースで度々出ています。
私は彼に大変世話になっており、生き方さえも変えられました。
何しろ喫茶 大工集団 欅を造れと言ったのは彼なのです。
こんな山の中に超してきて、彼と友人になれたのは神様のイタズラだとさえ思えるのです。
ありがとう。
世の中には本当に器用な人がいるものです。
除雪機が壊れて修理に出したのはメーカーでも機械屋でもありません。
旅館へ修理に出したのです。
信じてもらえないでしょうが、本当なのです。
大工集団 欅より白峰方面へ1qほど行くと『中山旅館』があります。
この旅館のオヤジ(名前は明設といいます)に修理をお願いしました。(上の写真)
昨日、お米を買いに行くと(美味しいお米も作っているのです)、除雪機はキャタピラのローラーベース部分をはずされ、明設が溶接していました。
どうです、旅館のオヤジとは思えないでしょう。
ニューヨークコーヒー相場は、平成21年の平均価格が1ポンド当たり128セントだったのが、昨年11月には200セントの大台を突破。
今では260セント台に到達するなど高い水準で推移しています。
これは穀物相場ですが、ではコーヒー豆の小売価格はどうでしょうか。
喫茶 大工集団 欅は業者のため業者価格の推移なのですが、この一年半で2.5倍以上の値上げとなっています。
簡単に2.5倍と書きましたが喫茶店にとってコーヒー豆は必需品です。
生活必需品が2.5倍に値上げされたなら生活は成り立ちません。
それと同じで、喫茶店でコーヒー豆の価格が2.5倍となっては店が成り立たないのです。
コーヒー豆の価格高騰の理由には下記のものが挙げられています。
1.ブラジルやインド、中国など新興国で需要が広がった。
これらの国では庶民にとってコーヒーは高級品でしたが、近年のめざましい経済発展で国内の富裕層が拡大し消費が増えているそうです。
特に中国では国内消費量が年率5%近い勢いで増えているそうです。
ブラジルは生産国なのですが需要が増えたことで輸出量は減少しています。
2.主要な生産国コロンビアで天候が悪いこと。
3.投機マネーの市場への流入。
全日本コーヒー協会の西野豊秀専務理事は「今年のようにブラジルで豊作のときは、価格は下がるのが普通だった。豊作なのに価格が高騰しているというのは、これまでになかった現象だ」と指摘しています。
つまり3の投機マネーの市場への流入を指摘しています。
「コーヒーの需要が増えても、供給量はそう増えるものではない。値段はしばらく下がらないのではないか」と懸念しています。
これは1の新興国で需要が広がったことを言われています。
「値上がりの原因をみると一時的にしのげればいいというものでもなさそうです。いずれ対策を考えなければいけないでしょうね」
「小さな喫茶店の多くは、値段を上げたくても上げられない。やせ我慢で耐えていかなければならないので、チェーン店でない喫茶店は本当に大変だ」
また大和総研のチーフエコノミスト、原田泰専務理事は「価格高騰の原因が一時的な要因ではないので、高止まりはしばらく続くのではないか」と話している。
つまり、大きな原因は3の投機マネーの市場への流入です。
私は1と2の理由は理解できます。
でも3は許せません。
農産物に投機マネーが動くとこれはもう単独商品単位でバブル経済が発生しているようなものです。
このバブルの中にいれば、成功者は多額の利益を得、敗者は負債を抱えるのは目に見えています。
勿論それに参加している人は自分の金銭欲のために参加しているのです。
しかし、このバブルに参加できない人(国)は、この投機ゲームに翻弄されるだけです。
日本では殆どの方がこのカテゴリーに入るのではないでしょうか(自分もですが)。
参加していない一般消費者が彼らの金銭欲のために迷惑を被るのは勘弁してほしいものです。
今日の新聞にスターバックスも値上げすると書かれていました。
もう既にコーヒー大手4社(キーコーヒー、ネスレ、UCC、AGF)は値上げをしています。
原料が高騰するので、豆屋さん・コーヒーショップが値上げするのはしょうがないんですが、こうなるといま厳しい価格競争に追い込まれている外食産業(喫茶
大工集団 欅もそうなのですが)はますます苦しくなってきます。
実際に顧客離れがおきるために『商品の値上げはできない』、でも『仕入れコストは上がる』、よって当然収益は圧迫される。
こうなると当然経営者は経費削減を考えます。
そして、まず考えるのが人件費の削減です。
当たり前といえば当たり前ですが、給与+雇用保険等の人件費(固定費)を抑制するのは、当たり前の発想ですよね。
また採用を控える、最低賃金(アルバイトなど)を引き下げる、雇用形態を改訂する、雇用時間を短縮する(サービス残業の利用)などで、企業の外にお金をださないようにします。
でも喫茶 大工集団 欅には従業員はいません。
ではどこで経費の削減をすればよいのでしょうか。
・・・こんな小さな店では経費の削減はできないのです。
結果、利益の減少をまともに受けてしまいます。
とにかく企業が外にお金をださないようにすると日本はますますデフレの状況から脱出できないでしょうね。
この辺、政治家の方はどう思っているんでしょう?
閣僚人事や勉強会ばかりやっていないで、自ら外交や経済の実状を把握したほうがいいと思うのですが・・・。
最後は愚痴になりました。
喫茶 大工集団 欅ではもう少しガマンして値上げはしません。
今更なのですが、大工集団 欅は建築屋です。
お客様に本物の木の良さを知っていただきたくて喫茶 大工集団 欅を経営しています。
喫茶店には珈琲はつきものです。
連日のようにコーヒー豆の価格が急騰しているという報道があります。
コーヒーの国際相場が値上がりし始めたのは、一昨年6月ごろからで、以来一貫して値上がりが続いています。
彼女に会う目的はヤギなのでした。
ヤギを飼いたいと思ってきたのですがどうすればよいか分からず、インターネットや本である程度の知識は得たつもりだったのですが、雪が降る当地での飼育にいろいろと疑問があったのです。
彼女にお会いしたお陰でその疑問は解けました。
ヤギは古くから人と生活してきた家畜です。
犬や猫等のペットとは違います。
そのために飼育に不安があったのです。
でも、ナント可愛い顔をしているのでしょう。
これから生まれる2匹の子ヤギをわけていただくことにしました。
5月を楽しみにしています。
TAKARAチーズ工房のホームページ
昨日は大工集団 欅にとって歴史的な日となりました。
何か変わったわけでもないのですが・・・。
福井県池田町にあるTAKARAチーズ工房の後藤宝さんにお会いして来たのです。
以前より一度お会いしたいと思っていた人でした。
彼女は30頭のヤギを飼っておいでになり、車を止めてヤギ舎へ向かって歩いていると手を振って迎えていただきました。
もうそれだけでホッとしました。
そこで小型のウッドホーンを手に入れ使ったのですが、小型だったせいか思うような音は出ませんでした。
それでも赤坂工芸音研に対する憧れは消えませんでした。
手加工の少量生産であったために見たこともない赤坂工芸音研への憧れはつのるばかりでした。
赤坂工芸音研は元々はGAUSSスピーカーを用いたアセンブリメーカーとして知られ、主にスタジオユースとしてプロスタジオに納入していましたので、一般のユーザーからは幻のメーカーともいわれていました。
そうしているうちに赤坂工芸がウッドホーンを作らなくなってしまったのです。
社長は石渡義夫さんです。
この人の音に対するこだわり方、意地とプライドは「職人」です。
聞くところによると『GAUSSスピーカーが倒産してユニットが手に入らなくなった』という理由でスピーカー(ウッドホーン)から手を引いたそうです。
今、赤坂工芸音研は高音質の音楽録音・CD制作をしています。
ホーンの話に戻りましょう。
原理的にHL89やHL90の使い方が最もサウンドが生きていました。
JBL:HL88(蜂の巣ホーン) にしろJBL:HL89(お化けホーン)、JBL:HL90(ゴールドウィング)にしろあの鋳物のカーブや作りには恐れ入ります。
どこからあの発想がでたのか非常に興味が有ります。
鋳物のプレートでしか出せないサウンドが有ります。
明珍の風鈴と似たようなセンスを感じます。
でも、赤坂工芸音研のウッドホーンへの憧れは消えませんでした。
オーディオ的に良く出来たユニットはウエスタンに尽きると思います。
でも今手に入れたとしても補修や予備のパーツがほとんど手に入りません。
現状で使える最も古いユニットはJBLかアルテックになるのではないでしょうか。
先に述べたようにJBLのユニットは非常に優秀な技術者たちが独創的な発想で名器を作っています。
しかもメカニカルでシンプルです。
小手先でごまかしたような仕事では有りませんので、彼らが鳴らそうとしていたサウンドを想像しながら鳴らし込んで行くのは非常にに楽しいし、且、その解答は「楽器で奏でる音楽」を彷彿とさせます。
数年前、遂に赤坂工芸音研のウッドホーンが手に入りました。
音抜けは抜群で、ホーン臭さを微塵も感じさせません。
石渡義夫さんのホーンにかける情熱はJBLやアルテックの非常に優秀な技術者たち以上だったのでしょう。
なにしろ彼は自分が作ったスピーカーから出る音を聴き比べるために音楽の高精度な録音までしている人なのですから。
今はそれを本業としておいでます。
ショベルローダーで除雪機の周りの雪を掘り出したときにショベルのバケットで除雪機を痛めてしまいました。
壊れ、雪に埋められ、また壊され、満身創痍となった除雪機が可愛そうで・・・。
大工集団 欅の除雪機はロータリーが上下2段の大型のために、一旦故障して動かなくなると大変です。
小型ならば数人で持ち上げることが出来るそうですが、大型ではそれは無理です。
機械は使っているときは便利なのですが(もっとも便利になる為に作られているのですが・・・)、壊れては粗大ゴミと化し邪魔になるだけです。
でも、気に入って買ったのですから修理します。
トラックに乗せられて行く後ろ姿を見ているとなんだか可愛そうで『元気になって帰ってこいよー』と言ってしまいました。
また生活の手助けをしてくれるはずです。
1月11日に故障して立ち往生してしまった除雪機ですが、その後降り積もった雪の下になり16日には一旦救出したのですが、どうしても動かずまた降り積もった雪の下に埋まっていました。
昨日再度掘り出してようやく動かせたので修理に出すことが出来ました。
両サイドが
【JBL 4411】
真ん中が
【JBL HL89】と
【JBL 375】です。
お客様から店の「スピーカーの横に置いてある物は何ですか?」と時々尋ねられます。(上の写真)
JBLのゴ−ルドウイングと言います。
正式な型番は【JBL HL89】と【JBL 375】です。
【HL89】が見えている部分でレンズです。
【375】は【HL89】の後にあり見えませんがホーンです。
2つがセットになって中域を担当するドライバー(スピーカー)から出た音を拡散するのです。
JBLの名器中の名器【D30085/ハーツフィールド】に使用された【37−509】と同じ物です。
【HL89】はシリアル#10473+#10483で連番です。
【375】はシリアル#26186+#26187でこれも連番です。
【HL89+375】は 角型エクスポネンシャルホーンと曲線状のプレートを持った音響レンズで構成されています。
インピ-ダンスは16オ-ムです。
プレート部はレンズの奥行きを短縮するため45゜の波形に曲げられています。
一般には黄金色の仕上げがから「ゴールドウィング」と呼ばれてきました。
指向特性はそんなに広くありませんが「金属の多翼構造のため「独特の響き」を出します。
同じJBLの【537−500】の「蜂の巣」とはかなり音色が異なります。
【HL89+375】は一般の使用にはエンクロージャーへのマウントやバッフル板の併用を勧められており、オレンジ色のアクリル板を取り付けてあります。
【HL89】の型式はホーンレンズで、指向特性は 水平100゜、垂直45゜ です。
スロート径は5cm で、クロスオーバー周波数は500Hz以上となっています。
【HL89】の寸法は幅505×高さ178×奥行118mm。
適合機種 【JBL 375】他【TAD402】などに使われます。
【JBL 375】に付いては説明の必要はないくらい有名です。
【HL89】はホーン全長305mm(ホーン奥行のみ) 重量(梱包時)7.3kg です。
最近の新型ドライバ−には無い図太くかつインパクトのある独特の音は時代を超えて男のロマンを燃えさせてくれます。
数人のお客様から「売ってください」と言われましたが、
絶対に売りません。
家々の前に雪だるまが作られており、白峰の人達が雪だるま作りに参加協力しているのが感じられ、白峰の人達の団結力を知らされます。
各所に村民達が手作りの露天を多く出ており、村内を一周するとお腹がいっぱいになり、満足して帰途につくのです。
豪雪地帯の白峰の人達にとって雪は身近にあり対処に慣れているとはいえ厄介な代物でした。
これに対し「積極的に雪に親しむ=親雪」機会を村全体で持ち、あわせて観光客の誘致に役立てようと1990年に当時の村の青年団が中心になって始めた催しです。
当初は村内の各世帯が、家族の人数分だけ雪だるまを作るものでしたが、年々それぞれに趣向を凝らした雪だるまや雪像が作られるようになりました。
今年は写真にあるのように大相撲の八百長を皮肉った雪だるまがあり笑ってしまいました。
県内はもとより日本全国からカメラ片手に訪れる観光客が集まるイベントに成長したようです。
そうそう、白峰でも中国語が飛び交っていました。
中国人観光客は本当に多くなりましたね。
雪だるま祭りのキャッチコピーがいいんですよ。
第一回から使われているキャッチコピーはこれです。
「明日忘れる豪華さよりも、永遠に心に残る素朴さを」
昨夜は友人夫妻と白峰の雪だるま祭りに行ってきました。
毎年行っているのですが、今年は大雪のせいかお客様は少なかったようです。
雪だるまの内部などに仕込んだロウソクに火が点され、幻想的なムードを醸し出しているのをみると何だか別世界に来たような錯覚を覚えます。
降り続いていた雪も今日はお休みのようです。
それもそうで今日は立春ですよね。
連日続いていた除雪も一段落です。
大工集団 欅は雪の壁の中にスッポリとあるようでこの季節ならではの雪景色を味わっていただけると思います。
彼女を有名にしたのは1964年のミュージカル映画「シェルブールの雨傘」で、カトリーヌ・ドヌーブの吹き替えを担当してからです。
その後、1970年に【ふたりの天使】のヒットで人気を決定付けました。
シェルブールの雨傘 (Les parapluies de cherbourg)
この映画はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得しました。
この映画は主役はもとより端役まで全編のせりふが歌になっていて、全編に音楽が流れてオペラの形式をそのままを踏んだ映画でした。
ヒロイン役のカトリーヌ・ドヌーブの吹き替えをしたのがここで紹介するダニエル・リカーリです。
か細い可憐な歌声、追随するミッシェル・ルグランのピアノ、寂し気な音でウラメロを奏でるバイオリン、フランス語特有の響きがそれに相俟った名曲が、同映画のタイトル曲です。
この曲を聞く度に、映画の場面が思い出され、目頭が熱くなります。
因に「シェルブールの雨傘」でその他の俳優の歌を担当していたのは、スキャットグループとも言える「スゥイングル・シンガーズ」の面々でした。
このグループも好きで愛聴しています。
すべての台詞にメロディがつけられ(レチタティーヴォ的な部分も含め)、語りが一切無い完全なミュージカルでした。
この映画はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しました。
2009年に製作45周年を記念し日本で世界初の“デジタルリマスター版”が特別上映されました。
今日のタイトルは『シェルブールの雨傘』ではなく、『ダニエル・リカーリ』でした。
彼女はとても変わったシンガーです。
歌詞を歌わないシンガーなのです(?)
歌詞は全く歌いません。
変でしょ。
スキャットで歌うのです。
スキャットとは、主にジャズで使われる歌唱法で、意味のない音、例えば「ルールルルー」、「ラーラララー」、「ダバタバー」、「ドゥビドゥビ」とメロディーにあわせて即興的(アドリブ)に歌うことです。
この歌唱法は、「歌」というよりも声を一つの楽器として表現することが目的です。
ジャズ・ミュージシャンのルイ・アームストロングが第一人者として知られています。
彼が何かの歌を歌っていたところ歌詞を度忘れしてしまい、適当にフニャフニャ誤魔化そうとしたところ、彼ほどの人ですからそれなりの節回しと即興が面白く、失敗版がスタッフに受けて、そのまま使用されたのがこの歌唱法の起こりだと言われます。
でも、ラグタイム・シャズのピアニストであったジェリー・モートンが1910年代に歌唱の技法としてこれを使っていたそうです。
ジャズでは上のルイ・アームストロングの他、キャブ・キャロウェイ、エラ・フィッツシェラルドも有名です。
日本では由紀さおりの【夜明けのスキャット】が有名ですよね。
彼女でよく知られている曲を思い出しました。
【エーゲ海の真珠】です。
この曲は皆さんもご存じでしょう。
ポール・モーリア・グランド・オーケストラの演奏による1971年のヒット曲で、スキャットをダニエル・リカーリが担当しています。
こんなレコードが我が家にあったんてすよねー。
今日も一日除雪で終わりました。
明日も・・・。
レコードラックにしまってあるレコードを適当に取り出してみると『こんなレコード、あったのー?』というものを手にすることがあります。
レコードラックから取り出したのはダニエル・リカーリ(Danielle Licari)の【二人の天使(CONCERTO POUR UNE VOIX)】でした。
今日は彼女を話題にしましょう。
フランスの女性歌手です。
名前を知らない人もおいでるかもしれませんが、彼女が歌った【ふたりの天使】は余りにも有名で、よくコントなどの“愛の場面”によく使われますから彼女の声は聴かれたことはあると思います。
曲を聴けば「ああ、それか!」と分かるはずです。
今日も雪の話題になってしまいます。
これだけ降ると『雪』しか話題がありません。
金沢に住む友人が電話で「積雪なし」と言いました。
「そんなことないだろ? 少しはあるんじゃないか?」
「雪はあるが積雪はない」
気象用語って表現の違いが分からない用語がありますよね。
「積雪0cm」と「積雪なし」では状態が異なるそうです。
気象庁の定義によれば、「積雪0cm」は観測点周囲の地面を半分以上雪が覆った状態のことなのだそうです。
「積雪なし」は雪が全くないか、観測点周囲の地面の半分までは雪が覆っていない状態のことなのだそうです。
微妙な表現ですね。
でもこの表現を知っていれば現状が理解できます。
昨日までの白山吉野の積雪は1m47pだそうです。
そこで日本の積雪最高記録がどれだけなのか調べてみました。
気象観測所の調べでは7m50cm が最高です。
富山県上新川郡大山町(現 富山市)真川で1945年2月26日に観測されたものです。
1m47pなんて5分の1以下なんですからまだまだですよね。
まったく今年の雪はどうしたものでしょうね。
昨日きれいに除雪したのに朝起きてみるとご覧の通りの雪です。
一晩に50pほど積もっていました。
地元住民でつくる実行委が主催し、今年で22回目だそうです。
住民が1人1個の雪だるまをつくる冬の風物詩。
桑島地区は約500個、白峰地区は約1500個が民家の軒先に並ぶそうです。
ろうそくの明かりと雪だるまの愛らしさが人気を呼び、祭当日は県内外から多くの観光客でにぎわいます。
また、白峰の名物を集めた食べ歩きコーナーもあり、特産の堅豆腐やナメコ汁、クマ肉うどん、ウサギ汁などが楽しめます。
両地区ともろうそくの点火は午後5時で約4時間ライトアップが続きます。
食べ歩きは桑島地区が午後5時、白峰地区が午後3時からです。
皆さんも是非行ってみてください。
問い合わせは雪だるま祭り実行委員会(電話 076・259・2011)まで。
毎年行っているのですが、家々の前にその家の人が作られた雪だるまがあり、住人の皆さんが参加されているのをほほえましく思います。
また、白峰の人達がいつもは悩まされている雪を逆手に取り楽しみを見つけておいでる姿に感心させられます。
これだけ雪が降ると『もうどうにでもなれ!!』という気分なのですが、この雪を楽しむイベントがあります。
白峰の『雪だるま祭り』です。
白山ろくの旧白峰村で厳冬期の恒例行事「雪だるま祭り」が、今月の28日に桑島地区で、2月4日に白峰地区でそれぞれ開かれます。
住民お手製の雪だるまをろうそくの火でライトアップしています。
白銀の集落は柔らかな明かりで幻想的に包まれます。
26日は臨時休業をしてしまい、申し訳ありませんでした。
昨年の雪だるま祭り
なにせ積雪が1mを超えているので、掘り出すのにも時間がかかり、申し訳ありませんが臨時休業とするより仕方なく・・・。
それにしても雪の下になった物は何処にあるのかさえ分からなくなる始末です。
それだけ雪が積もっているのです。
ショベルドーザーで除雪機の近くまで雪をどかしていると、除雪機にショベルのバケットを引っ掛けてしまいました。
ボディを痛めてしまい、修理する箇所を増やしてしまいました。
雪に埋もれた生活とはこんな事なのでしょうね。
先日故障した除雪機を修理に出すため、『除雪機掘り出し作戦』をしなければならず、お休みさせてください。
2週間前に故障した除雪機の修理を依頼してあったのですが今日になり、あれからの雪で埋まってしまいました。
もうしわけありません
本日は臨時休業させていただきます。
店番をしながらオーディオの気になるHPを検索しながら読んでいると、あることに気づきました。
評論家(自称マニア)という人種は自分の得意とする分野に於いては難しく考えすぎるきらいがあるということです。
オーディオ評論家の某氏のHPの記述に以下のものがありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オーディオに於いてマルチアンプシステムは誰にでも勧められるものではない。
それはオーディオの究極の世界であり終わりのない戦いの世界だ。疲れて挫折する可能性も高い。精神力の持続が必要になる。いい音が約束されているわけでもない。成功すれば完成度の非常に高いハイエンドスピーカーを軽く超える究極の世界が狙える。失敗すれば、音はばらばら、最悪のバランス、まったく音像定位なるものとは無縁の、どこから音が出ているのかわからないという修羅場になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなにマルチアンプは難しいのかなぁ?
と言うのが正直な感想です。
私はずっと昔、20年以上前からマルチアンプシステムで聴いていますが、何も難しいことはありません。
そりゃアンプやスピーカーコードが無茶苦茶多くなりますからその結線に悩むような人は別ですが、普通のオーディオマニアならば何も問題はないでしょう。
別に精神力なんて必要ありません。
なにしろ、好きなことをしているのですから諦めることはありません。
某氏のような高名な方が高いレベルで挑むマルチは、そういう事情かもしれませんが、私程度の、おそらくちょっとの異常も調整不足も気付かずに音楽を楽しめるような幸運な人間にとっては、マルチアンプシステムにより創り出される素直な音を聴けるのは至福のときなのです。。
もしも今、マルチアンプシステムに躊躇している人がいたら、私は自信を持って言います。
「それぞれのレベルなりに楽しめますよ。そして楽しめる要素はシングルアンプとは比較のしようもないほど多いです」と。
ああ、マルチアンプシステムとは、オーディオは通常一般には全帯域のオーディオ信号を一台のアンプで増幅して、その電力増幅されたものをLCフィルター(ネットワーク)で分割し2ウエィや3ウエィのスピーカーシステムとしています。
一方マルチアンプシステムとは、プリアンプから出た信号を帯域分割フィルターで正確に分割し、その分割信号をそれぞれ必要数のアンプで電力増幅し直接スピーカーを駆動するものです。
ネットワークにあるコイルが無くなるために素直な音が出ます。
マルチアンプシステムにする為にはパワーアンプが周波数の分割数だけ台数が必要となります。
投資費用は高額となりますが、それに見合った・・・、それ以上の利点があると思います。
オーディオなんぞというものは・・・、得てして趣味というものは自己満足以外の何ものでもないのですから。
ここ吉野では相変わらず毎日 が降り積もり、除雪から一日のスタートをしてます。
こんな日は日がな好きなジャズでも聴いて過ごしたいものです。
『店で聴いているじゃないか』と言われそうですが・・・。
店は毎日オープンしております。
当店の営業時間は『雪が降った日は午後1時5分より(除雪のため)』となっておりますが、10時にはオープンできるように除雪しております。
雪を捨てた後
今年は大雪になりましたね。
日記を見てみると8日から連続して毎日除雪しています。
店の部分の除雪は
・道路
・駐車場
・家までの通路
・屋根雪の処理
と、意外と多いのです。
しかも、その他に家の部分の除雪をしなれけばなりません。
上の写真の通り、屋根雪が落ちて軒まで雪がつながってしまいます。
この雪を捨てなければならないのです。
雪と格闘するのは嫌いではないのですが、これだけ毎日続くと億劫になってきました。
毎日除雪をしています。
どうやら今年の冬は大雪になりそうですね。
上の写真は今朝の店の前です。
昨夜からの新しい積雪は30p程で、全部の積雪は90p程になりました。
ショベルドーザーで除雪したのですが、今にも屋根雪が落ちてきそうです。
毎日、お客様より電話をいただき「店を開いてますか?」と尋ねられるのですが、雪が降った日は午後1時5分よりオープンしています。
時々、弱気になって『こんなに雪が降ったらお客様は来ないのでは・・・』と思うのですが、もしお客様が来られて休業していたらガッカリされると思い、(なるべく)開いています。
なにしろ当店のお客様のほとんどが金沢・小松・福井等の遠方からのお客様でから、はるばる来ていただいたのに休みだとガッカリどころか怒りたくなりますよね。
ところで、いつもは駐車場と前の道は除雪機で除雪しているのですが、先日壊れてしまい、今はショベルドーザーでしています。
ショベルは下がコンクリートやアスファルトなら除雪しやすいのですが、当店の駐車場はご存じの通り砂利です。
下が砂利の場合、ショベルの除雪では砂利が引っかかって大変しにくいのです。
ですから少し雪を残しての除雪しかできません。
駐車しにくくて申し訳ありません。
とは言っても駐車場をコンクリートにするつもりはありません。
街中とは違うのですから、べターッとコンクリートでは趣がないと思います。
多少苦労はしても自然に近い砂利がイイと思っています。
ところで、昨日今日と大学センター試験が行われていますね。
金沢大学も角間の山の中にあり、雪が降ったと思うのですが、遅刻をした受験生もいるのではないでしょうか。
それよりも昨日は大変なことがありました。
雪が降った日の朝は除雪をするのですが、除雪が終了して収納場所へ戻ろうとしたときに除雪機が壊れてしまったのです。
こんな時に頼りになる友人が近くに住んでいます。
中山旅館のオヤジです。
今朝はこの冬一番の冷え込みだったのではないでしょうか。
積もった雪の表面はカチカチに凍っていましたし、店の屋根雪もご覧の通り垂れ下がっていました。
見にくいのですが、つららも下がっています。
つららは屋根雪の融けた水が落ちる時に寒気に晒され氷結して下へ徐々に垂れ下がるものですから、昨日は屋根雪が融けていたのでしょう。
それ以来4人は不動のメンバーでした。
1987年には、メンバーが変わらずに活動するコーラスグループとして、ギネス世界記録に認定されています。
ラジオ日本「ダークダックスのダークと歌う仲間達」も40年以上続く番組として知られています。
1997年にでマンガさん(左から二人目)こと佐々木行さんが倒れました。
新メンバー招聘の話もあったそうですが「他のメンバーのダークダックスは考えられない」と、あくまでマンガさん復帰を待つということで、以後3人のメンバーで活動していました。
パクさんが無くなりダークダックスは無くなるのでしょうか。
拝金主義の現代ではこの様な良心的なグループは二度と出てこないでしょうね。
いい年をした男4人組が『森のくまさん』を歌える時代は終わったのでしょうね。
26年前、フォークソング全盛時代の私が大学2年時の学祭はダークダックスがゲストでした。
大学が創立100周年で、ダークダックスが結成25年×4人=100年、という理由でした。
『ともしび』、『雪山讃歌』、『白銀は招くよ』、『北上夜曲』、『愛のソナタ』、『エーデルワイス』、『山男の歌』、『銀色の道』、『森のくまさん』
・・・どれも懐かしく、心温まる歌を聴かせてくれました。
ありがとうございました、パクさん。
とても、とても残念です。
男声コーラスグループ「ダークダックス」のメンバーで、「パクさん」の愛称で親しまれた歌手の高見沢宏さん(写真の左端)が昨日、心不全のため亡くなったと新聞に出ていました。享年77歳。
パクさんは昭和26年に慶応大の男声合唱団のメンバー3人で結成された「ダークダックス」へ1年後輩であったため卒業を待って翌年に参加しまた。
禅語の中で最もほっとさせられることばがこの『喫茶去』であるという人は多いと思います。
「どうぞ、お茶でも召し上がれ」という『喫茶去』の心を日常に生かせるでしょうか。
忙しい現代社会の中で憩いを求めて喫茶 大工集団 欅に来られるお客様に『喫茶去』の気持ちを持ち続けたいと思います。
書は中山梅雲さん、彫りは達瀬陽蔵さんです。
鏡板は欅、枠は山毛欅材で作られています。
店の飾りを二箇所変えました。
一つは蓮の彫り物から『喫茶去』の彫り物の額に変更しました。
『喫茶去』は、「きっさこ」と読みます。
禅語で「お茶を一服如何ですか」とか「どうぞ、お茶でも召し上がれ」という意味です。
去の字は喫茶の強調の助辞であり、去るという意味はありません。
お茶を飲んだら帰れという意味ではありませんので誤解なきように。
昨日は家のしめ飾りを書きましたが、今日は店の門松です。
毎年、竹が一本だけの門松を作ります。
竹は実家の山から伐ってきます。
二箇所に穴を開けて水を入れ松・千両・葉牡丹等を差し入れ、飾りを結びつけて完成です。
門松の竹は三本なのですが、何だか仰々しくなり、一本だけのこのスタイルが私どもには合っているように思い、気に入っています。
家のしめ飾り同様、自分で作ったお正月飾りでお客様をお迎えできるのは楽しいものです。
その一つが一年中玄関に飾る木札付きのしめ縄です。
これは伊勢が一年中神様のいらっしゃる地であることを表しているのだそうです。
また、関西のしめ縄と比較すると、しめ縄の細くなる方向が逆になっており、神様(=福)が出て行かないようにという伊勢人の思いと、入ってくるようにという関西人の思いをかいま見ることが出来ます。
木札に書かれている『笑門』は『蘇民将来子孫家門』の『将』と『門』をとって『将門』としたのが『平将門』に通じるため『将』の字を『笑』に置き換えたのだそうです。
笑門来福(笑う門には福来たる)の意味もあり、伊勢の一般家庭では一番多い木札だそうです。
お正月は皆様どの様にお過ごしになりましたか?
喫茶 大工集団 欅は今日から営業を始めさせていただきます。
今年も宜しくお願い致します。
今年最初の写真は我が家のしめ飾りです。
当地のしめ飾りとはデザインが違いますが、暮れに伊勢へ行ったとき『しめ縄作り教室』で作ってきた物なのです。
そうなんです、伊勢ではしめ縄と言います。
伊勢は神宮を中心に発達してきた歴史から、他の地域にはない風習を持っています。
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2011年1月30日 |
ナイーブだった女の子はこんなに素敵な59歳の女性になっていました。
ええーーーーーっ!!
先週来日していたんですかー?!!!
ジャニス・イアンのオフィシャルサイトはコチラです。(http://www.janisian.com/)
白山吉野の今日の積雪は2m9cmです。
昨日も吹雪となり延ばし延ばしにしてきたレコードの整理をしました。
ありました、懐かしいレコードが。
話は急に変わりますが、テレビを何気なく見ていると時々バックに流れている音楽に『この曲は・・・』と、忘れていた好きだった曲を思い出させてくれて懐かしく思うことはありませんか。
先日、テレビのコマーシャル(確かお茶のコマーシャルでした)から微かにJanis Ian(ジャニス・イアン)の【Will You Dance? (ウィル・ユー・ダンス)】が聞こえてきて、『俺、この曲、好きだったんだよなー』と、とても懐かしく思ったものでした。
あったんです、レコードを整理していたらジャニス・イアンのウィル・ユー・ダンスが。
正確に書けばアルバム『奇跡の街』が。(ウィル・ユー・ダンスはこのアルバムの収録曲でした)
発売は1977年で、この曲はTBSドラマ『岸辺のアルバム』の主題歌に使われたので、皆さんもご存じでしょう。
家庭崩壊を描いたシリアスドラマに彼女の優しい歌がよくマッチしていました。
アルバムは日本だけで100万枚を超えるセールスを記録したそうです。
若い人は、ジャニス・イアンといってもピンとこないかもしれませんが、1975年から77年頃にかけての、日本でのジャニス・イアンの人気は凄いものがありました。
勿論、1976年にはグラミー賞も受賞しているし、世界的な人気でしたが、日本のテレビ・ドラマに使われた「恋は盲目」(『グッバイ・ママ』主題歌)や前述の「ウィル・ユー・ダンス」(『岸辺のアルバム』主題歌)は、日本でもヒットして有名なんですよ。
特に「恋は盲目」は、オリコンの洋楽チャートの1位を6ヶ月間独走した記録を持っています。
80年の、角川映画『復活の日』の主題歌となった「ユー・アー・ラヴ」は日本だけのヒット曲なんだうです。
ジャニス・イアンの美しくも悲しい旋律と歌声
ジャニスの曲は、アコースティックで、ジャズ・フィーリング溢れる曲もたくさんあるし、繊細で胸にグサっと来る歌詞、そしてそこには何かしら彼女の持っているコンプレックスが感じられます。
日本人好みの哀愁に満ちたサウンドで、今の季節に部屋でじっくり聴くにはぴったりです!
最近の彼女はどんな女性になったのでしょう。
Googleで写真を検索しました。
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《 赤坂工芸音研のウッドホーン 》
《 JBLホーンのいろいろ 》
6日にJBLのHL89の話を書いたところホーンについてのメールを何通かいただきました。
ホーンは6日に書きましたJBL:HL90(ゴールドウィング)、JBL:HL89(お化けホーン)、JBL:HL93も使って来ましたがレンズがアルミ板のためどうしても震えているように思えウッドホーンに憧れていました。
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『残雪を 守りとおして デッキ濡れ』
今朝、店へ行くとデッキの雪がこれだけになっていました。
今日は雨、明日には無くなっているでしょう。
昨年は3月13日に全て無くなりました。
例年は3月中頃に無くなるのです。
コレを見ても今年は大雪だったのが分かります。
2011年4月16日 |
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